Jan 21, 2011

その男、シューズデザイナーにつき

齊藤泰三。

NO」というシューズブランドのデザイナーにして我が友人。

彼もまた一人でブランドを営んでいることもあり、知り合ってからのここ数年実に多くの事を語り合ってきました。

NOは来期4シーズン目のコレクションを迎えますが、ブランドの目指すところは違えど、そこはかつて僕も通ってきた道であり、当然その過程にある喜びや苦しみには多くの共通点があります。


靴というアイテムを考えたとき、服やバッグと比べて、履き心地に不具合があるとその苦痛は他のアイテムの比にならず、人体にも影響が及びます。結果デザインにも大きな制限がかかります。
つまり、勝手に解釈すると、それだけ既に完成されているアイテムであると言えます。
だからこそ、靴は少ない新たな切り口でのデザイン、履き心地の商品が出ると圧倒的な支持を得るのだと思います。



先ずはNOのブランドタグをご覧下さい。
AからZまでを読んでいくと、そこには無いNとOが自然と浮かび上がり、より効果的に印象付けられます。



昔、美大出の友人に、例えば花瓶のシルエットを描く時、その方法は二つあり、ひとつは花瓶に意識を集中してそのものを描くこと。もう一つには、花瓶の周りを描いていって最終的に花瓶が浮かび上がる方法とがあると聞きました。

逆転の発想です。

日頃”考える”という事を意識していないと意外とできないことです。

泰三はそんなことを実にサラリとやってのける男です。

そして彼のブランドの一番の魅力はとても微妙なバランスの上に成り立っているということです。

普段僕は自分の造ったバッグを商品と呼ぶか作品と呼ぶかで悩みます。
作品と呼ぶと、そこには何かしらのアート性が要求されている気がするからです。

アート(作品)はモノにもよりますが、値段ありきで産み出されたものではなく、アーティストの内なる情熱の表れで、その価値、値段はあとからついてくるものであって欲しいと思うのです。
一方商品は綿密な原価計算の元に、販売を目的として造り出されたものです。

そう考えると、バッグにそのもの以上の価値を与えたいと思って製作していますが、やはり僕は商品を造っているのでしょう。(皆さんが作品と評してしてくださる分には大歓迎ですが)

そんな中でNOのシューズはとてもアート性が色濃く出たデザインに仕上がっています。
皆さんからしたらそんな事(作品か商品か)はどうでもいい事かもしれませんが、アート的要素を表現しつつ、商品として正当な価格の作品を造るというのは、想像以上に大変な事なのです。

新しい靴を初めておろす時の快感は何物にも変えがたい喜びです。
そんな想いをNOのシューズで味わって下さい。




最後に本人監修のブランドリリースより。

NOのブランドコンセプトである" UNDER THE FACT OF SHOES "は靴の真実を再認識、発信することを表しています。この思いはブランド名にも反映されており、ブランド名"NO"は物事を生み出す根源の(脳)+生み出した物が受ける反論(NO)を表し、この二つの意味を併せ持つNOは逃れる事のできない事実を追い求める為に名付けました。

(脳)+(否定/NO)=NO

NOはコンセプトに基づいたものづくりを基本とし、物の存在感を高めることに意義を見出しています。

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